二分子求核置換反応(SN2反応)
ハロアルカンの炭素-ハロゲン結合は、炭素原子とハロゲン原子の電気陰性度の差によって、大きく分極している。
炭素原子は正に帯電しているため、孤立電子対をもっている求核剤と反応することで新しい結合が生成する。
ハロゲン原子は負に帯電しているため、結合電子を取り込むことで、炭素-ハロゲン結合が開裂し、ハロゲン化物イオンが生成する。
この反応は、全体で見ると、ハロゲンと求核剤が置き換わるため、求核置換反応と呼ばれる。
ここでは求核置換反応の中でも、二分子求核置換反応(SN2反応)といわれる反応について説明する。SN2反応のSは置換(substitution)のS、Nは求核的(nucleophilic)のN、2は2分子の2が由来である。
ハロアルカンの中でも、1-ブロモ-2-メチルプロパンを取り上げ、求核剤として水酸化物イオンを用いる場合を考える。
炭素-臭素結合は、電気陰性度の違いによって炭素原子が正に、臭素原子が負に帯電して、分極した状態になっている。水酸化物イオンは、酸素原子上に負電荷として孤立電子対をもっている求核剤である。そのため、水酸化物イオンは、正電荷を帯びた炭素原子を求核攻撃する。このとき、求核剤は炭素-臭素結合を軸して、臭素原子と180°反対側から攻撃する。その後、遷移状態である不安定な5配位中間体を経て、臭素原子が炭素-臭素結合の結合電子を引き連れながら、脱離する。
実際には、SN2反応はほぼ1段階の反応である。これは遷移状態である中間体の寿命が非常に短く、単離することができないからである。つまり求核剤がハロアルカンを攻撃すると同時に、脱離基が離れるという、結合の生成と結合の開裂が同時に起こる。この2つのことが協奏的に起こることから、協奏反応ともいわれる。
SN2反応の立体的な反応機構を考えると、2通りの考え方ができる。
まず、求核剤が基質に対して、脱離基と同じ側から近づき、導入される基が脱離基と置き換わるという、前面での置換が考えられる。しかしながら、実際にはこの前面での置換は起こらない。
もう一つの反応機構は上でも紹介した、背面からの置換である。求核剤は脱離基とは反対側から炭素に接近し、電子対が負の電荷をもった水酸化物イオンの酸素結合から炭素原子へ移動し、C-O結合を生成する。C-Br結合の電子対は臭素のほうへ移動し、臭素は臭化物イオンとして押し出される。
このように、SN2反応は背面からの置換が起こることから、SN2反応は立体配置の反転が起こる。つまりSN2反応は立体特異的な反応である。
2つ以上の立体中心をもつ物質では、求核剤と反応する炭素上でのみ反転が起こる。
このSN2反応を利用することで、特定のエナンチオマーを合成することも可能である。例えば、R体の(R)-2-ブロモオクタンからR体のチオールを合成するには、SN2反応を2回行うことで、実現できる。具体的には、(R)-2-ブロモオクタンにヨウ化物イオンを用いてSN2反応を行い、(S)-2-ヨードオクタンを合成する。次に、HS-イオンを用いて、2回目のSN2反応を行うと、R体のチオールが合成できる。このように、SN2反応を2回行うと、立体配置を保持する合成も可能となる。
反応速度は基質であるハロアルカンの構造に影響を受ける。そのため、立体障害の小さい第一級のハロゲン化物の場合が最もはやく、第二級、第三級と立体障害が大きくなるにつれて、反応速度は遅くなる。
SN2反応の起こりやすさには脱離基、求核剤、基質のアルキル基などが影響する。
求核置換反応は、置換される基XがC-X上の電子対を取り込んで脱離することが可能である場合にのみ反応が進行する。脱離基の脱離のしやすさである脱離能は負の電荷を受け入れる能力と関係がある。ハロゲン化物イオンの場合は、下のように、フッ化物イオンからヨウ化物イオンへと周期表の同じ族の列を下にさがるにつれて大きくなる。
I->Br->Cl->F-
そのため、ヨウ化物イオンは脱離能の大きい脱離基である。
ハロゲン化物以外の基も脱離基として機能する。硫酸メチルイオン(CH3OSO3-)やスルホン酸イオンのようなROSO3-やRSO3-などの硫酸誘導体も脱離能が大きい。
また脱離能の強さと塩基としての強さは逆の関係がある。塩基が弱い場合は負の電荷を受け入れる能力が高く、脱離能が強い脱離基となる。ハロゲン化物イオンの場合は、ヨウ化物イオンが塩基として一番弱いため、ハロゲン化物イオンの中でヨウ化物イオンは最も脱離能の大きい脱離基である。硫酸アルキルイオンやアルカンスルホン酸イオンも塩基として弱いため、脱離能が大きい。
弱い塩基かどうか調べる方法として、X-が塩基として弱い場合、共役酸であるHXは強い酸である。つまり脱離能の大きな脱離基は強酸の共役塩基である。
求核剤
求核剤の相対的な強さである求核性は電荷、塩基性度、溶媒、分極率、置換基の性質などが影響する。
負の電荷をもった化学種のほうが求核剤として強力である
求核的な攻撃によって求電子的な炭素中心との結合が生成する場合、攻撃する化学種が負の電荷を多くもっているほうが、反応が速くなる。
周期表の右に行くほど求核性は小さくなる
塩基性度の高い化学種は、反応性の高い求核剤である。塩基性度は周期表の左から右へ進むにつれて小さくなるため、周期表の左から右へ進むにつれて求核性は小さくなる。
溶媒和は求核性を小さくする
周期表で見ると、塩基性は上から下へ向かうにつれて小さくなる。しかしながら、求核性は周期表を下へさがるにつれて大きくなる。この現象については、溶媒の性質についてを考える必要がある。
固体が溶解する場合、固体状態を保つために働いていた分子間力が、分子と溶媒の間の分子間力に置き換えられる。特に、SN2反応の出発物質である塩から生成するイオンは溶媒和を受けやすい。
特に極性の強い非プロトン性溶媒は、SN2反応に有効な溶媒である。
分極率が大きいと求核性が大きくなる
分極しやすい元素は大きな電子雲をもつ。そのため、SN2反応の遷移状態に効果のある軌道の重なりを得ることができるため、遷移状態のエネルギーが低くなり、求核置換の反応速度が上がる。
立体的にかさ高い置換基をもつ求核剤は求核性が小さい
立体的にかさ高い置換基を持っている場合、立体障害といわれる、置換基による影響によって、SN2反応の反応速度は遅くなる。