化学徒の備忘録(かがろく)|化学系ブログ

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NMRの化学シフト(ケミカルシフト)・基準物質・電子密度・磁気遮蔽・寄与する効果

 

化学シフト (ケミカルシフト) とは

核磁気共鳴スペクトルでは、原子の種類によって、一定であるスペクトル線の位置が、その原子の置かれている化学的環境によってシフトする。これを化学シフトもしくはケミカルシフトという。

つまり、化学シフトは、基準となる周波数からの観測核の核磁気共鳴周波数のずれを表す。ここでいう基準となる周波数とは、基準物質に含まれるある核の周波数である。

化学シフトは\deltaで表される場合が多く、単位はppmで表される。

また、分裂線の場合は、その中心の位置がどの程度ずれているかである。例えば2つに分裂するタブレットならば、2つのピークの位置の中心で考える。

実際の化学シフト \deltaの計算式の例としては、次のような式が挙げられる。

 \delta (ppm) = 基準物質の共鳴周波数からのずれ (Hz) / 装置の操作周波数 (MHz)

 \delta (ppm) = 106 × (試料の共鳴周波数-基準物質の共鳴周波数 (Hz)) / 基準物質の共鳴周波数(Hz)

装置の操作周波数 (MHz) は、核の種類と磁石の強さによって異なる。例えば、400 MHzのNMR装置で13C核を測定する場合は、

1H核を100 MHzとしたときの13C核の共鳴周波数 (25.1 MHz)/ 1H核の共鳴周波数 (100 MHz) × 装置の周波数 (400 MHz) = 操作周波数 (100.4 MHz)

となる。

 操作周波数は、核の種類によって大きく異なるため、ある核種を測定しようとすると、他の核種は観測されない場合が多い。

NMRで観測している周波数のずれは非常に小さい。しかし、このずれである化学シフトは、核の環境によって、決定される。有機化合物の場合では、分子構造や官能基によって決定される。

NMRスペクトルの横軸

NMRのスペクトルでは、慣例的に横軸において、値が正の方向 (一般的に左側) を低磁場もしくは高共鳴周波数という。反対に値が負の方向 (一般的に右側) を高磁場もしくは低共鳴周波数という。また、0 ppmから離れている場合、化学シフトが大きいという。

化学シフトの範囲

化学シフトの範囲も、核の種類によって、だいたい決まっている。有機化合物の場合、水素核1Hならば、-1 ppmから+12 ppmぐらいに現れる。有機化合物の炭素核13Cならば、-5 ppmから、+230 ppmの範囲に現れる。しかしながら、特に分子にねじれやひずみが生じてる場合や、近くに芳香環やポルフィリン環が存在する場合には、大きな化学シフトが観測されることもある。

化学シフトの基準物質

1Hや13Cでは、化学シフトの基準物質として、テトラメチルシラン (TMS) を用い、テトラメチルシランの化学シフトを0 ppmとしている。テトラメチルシランは1Hや13Cを測定する場合に、最も使用される基準物質である。テトラメチルシランが基準物質として使用される理由としては、沸点が低いためサンプルの回収が容易、大半の有機化合物よりも高磁場側に単一シグナルで表れる、化学的に溶媒の影響を受けないなどの利点があるためである。

ただし、使用する基準物質によっては、基準物質の化学シフトは0 ppmでない場合もある。

化学シフトと電子密度・磁気遮蔽

化学シフトはその核の非常に近くの磁場環境を反映している。電子の動きは、電流と磁場は相互に関係しているため、磁場環境は電子的環境ともいえる。よって、化学シフトはその核の電子的環境を反映しているともいうことができる。

一般に、相対的に電子密度の高い原子の核は、高磁場側に現れ、相対的に電子密度の低い原子の核は、低磁場側に現れる。

電子密度の偏りは、結合している原子との相対的な電気陰性度の大小に対応している。

例えば、酸素に結合した水素と炭素に結合した水素を考える。炭素と酸素では、電気陰性度は酸素の方が大きい。そのため、酸素に結合した水素が存在する水酸基の水素は、炭素に結合した水素よりも低磁場側にシグナルが現れる。

こういった電子の核への働きは、磁気遮蔽 (遮蔽) で説明される。

磁気遮蔽とは、原子核が実際に感じる磁場の強さが、電子が発生する磁場などの影響で外部磁場より弱められる現象である。この磁気遮蔽が、化学シフトが生じる主な原因である。

磁気遮蔽が強い場合、原子核が実際に感じる磁場は、与えられている外部磁場の強さより弱くなる。そのため、共鳴周波数は小さくなり、化学シフトが高磁場側に移動する。

また、磁気遮蔽の反対のことを反遮蔽といい、与えられた外部磁場よりも強く磁場を感じることになる。この場合、低磁場側へのシフトが観測される。

化学シフトへの効果

隣接官能基による磁気異方性効果

カルボニル基やアセチレン、芳香環のような、\pi電子の大きな電子雲をもつ官能基は外部磁場に対する方向や角度によって、\pi電子がその影響を受けることで、新たな磁場が誘起される。その結果、近くの核に大きく遮蔽、反遮蔽を与える。

そのため、これらの官能基との空間的な位置関係次第で化学シフトが通常の予想とは異なる位置に観測されることがある。

この現象を、磁気異方性効果という。

磁気異方性は、外部磁場に対して分子が特定の方向を向いたときには強く働く。溶液中では、測定した瞬間に、特定の方向に向いている分子は一部の分子のみなので、測定結果としては、あらゆる方向が平均化された結果が表れる。そのため、理論的な異方性の量よりは、少ない量を観測することになる。

電子軌道の混成の影響

炭素は混成軌道を形成し、二重結合や三重結合などを形成する。この電子雲の混成によって生じた電子雲の形の変化によって、電子密度や磁気遮蔽への効果が大きく変わる。

混成軌道のs軌道の影響が強い場合には、電子雲全体は炭素核側に寄って、水素核側の電子密度は下がる。

よって、混成軌道を考えると、sp混成軌道>sp2混成軌道>sp3混成軌道の順にs軌道の影響は小さくなる。そのため、炭素核に結合している1H核は、sp混成軌道の方が、sp2混成軌道よりも低磁場側へシフトすると推定できる。

しかしながら、実際には、sp混成軌道のアセチレンの1H核は、sp2混成軌道のエチレンの1H核よりも高磁場側で観測される。これは、磁気異方性効果による遮蔽の寄与が大きいためである。

置換基効果

置換基の、電子求引性の度合いや電子供与性の度合いによって、結合している原子の電子密度に大きく影響を与え、化学シフトを大きく変える。

置換基が電子求引性の場合、結合している原子の電子密度は下がり、化学シフトは低磁場側に移動する。置換基が電子供与性の場合は逆に、結合している原子の電子密度が上がり、化学シフトは高磁場側に移動する。

例えば、ニトロ基(-NO2)は電子求引性であるため、ニトロ基が結合した炭素核13C NMRシグナルは、水素核が結合したものよりも低磁場へシフトする。

また、ジメチルアミノ基(-NMe2)は電子供与性であるため、ジメチルアミノ基が結合した炭素核13C NMRシグナルは、水素核が結合したものより高磁場側へシフトする。

また、ベンゼンや芳香族化合物の置換基効果は、反応性に関する直線自由エネルギー関係則に関係づけて、予測が行われる。

立体的効果 (van der Waals効果)

立体的効果は、電子雲どうしの空間的な接近によって起こる。電子雲どうしの接近によって、電子雲の形が歪み、反遮蔽効果が加わることで、低磁場側へシフトが起こることが多い。

共役系での効果 (メソメリー効果)

共役が起こる不飽和結合や置換基上の非共有電子対の存在は遮蔽、反遮蔽効果を引き起こし、化学シフトを変化させる。特にベンゼン環でのメソメリー効果や、カルボニル基と共役する二重結合で見られる。

アニリンにように、非共有電子対をもつアミノ置換基がある場合、ベンゼン環の炭素上では、\pi電子の非局在化が起きる。

その結果、電子密度の高くなった炭素核は遮蔽効果が高まり、高磁場側へのシフトが起こる。

反対に、電子求引性の共鳴置換基で置換すると、電子密度の低い炭素が生じることで、反遮蔽効果が増し、低磁場側へのシフトが起こる。

同様に、共鳴構造の存在する\alpha, \beta-不飽和カルボニル基では、カルボニル炭素上の部分正電荷が非局在化するために、共鳴構造のないカルボニル炭素と比較すると、高磁場側へのシフトがみられる。

重原子効果・同位体効果

ハロゲン元素などの重原子や、2Hなどの重い同位体は13C核を遮蔽し、高磁場側へのシフトを起こす。

例えば、-Brや-I置換基が結合している13Cの化学シフトは-Hや-Clなどの置換基が結合している場合よりも、大きく高磁場側にシフトする。

水素結合の効果

水素結合は、一般的に電子の非局在化を起こす。そのため、水素結合をした原子の隣の原子は電子密度が下がり、反遮蔽によって低磁場側へシフトする。

特に分子内で水素結合をもつ分子の場合、水素結合が無いものよりも低磁場側へのシフトが観測されることが多い。

分子間での水素結合の場合は、水素結合の度合いは、濃度や溶媒によって大きく異なる。水素結合を作りやすい極性溶媒中では、大きな低磁場側へのシフトが観測される。