調和振動子
波動方程式を用いる例として有名なものに調和振動子がある。
調和振動子とは、バネを用いる際の実験や計算でよく使われるフックの法則に従って、位置エネルギーが上昇すると平衡点へ戻すような力が働き振動するものである。
化学では、二原子分子の二原子間の距離がバネにように振動する分子振動を考える場合には、この調和振動子を当てはめて考えることができるため、基礎的な分子振動の理解については調和振動子を使うことがある。
調和振動子の波動方程式
まず、バネの力の定数をとする。そして、バネに球が繋がれ、球の質量をとして、これが振動する場合を考える。
フックの法則とは、球を平衡点である、つりあっている位置からだけずらすと、に比例する復元力を受けるものである。このとき、位置エネルギーは、力に逆らって移動させるために必要な仕事(エネルギー)として求めることができる。
実際に計算するには、力の倍であるにをかけて、平衡点から議論する点までを積分すると、次の式を得ることができる。
フックの法則に従うバネの位置エネルギーはで表される。そのため平衡点からだけ球の位置がずれると、位置エネルギーは放物線をとって上昇するが、平衡点へと引き戻そうとする力が働くために、振動することになる。
このようにフックの法則に従って振動するものを調和振動子という。
調和振動子の波動方程式のラプラシアンは、一次元の箱の中の粒子の場合と同様に考えることができる。位置エネルギーをとすると、次のように表すことができる。
この波動方程式は、に対して、ある仮定をすることで解くことができる。
これは、この形の微分方程式の解はガウス関数であるの形の指数関数とエルミート多項式の積の形になることが、よく知られているためである。
そこで、を次のように仮定して解く。
この形を仮定する理由は、振動子は平衡点の周囲で振動するため、無限に大きいに対しては、は0になる必要がある。また、は正にも負にもなるため、の形の指数関数を考えることが好ましい。さらに、そのままの形を用いていいかどうかが明確でないため、指数関数にの多項式をかけ算している。
得られた結果をまとめると、求めたエネルギー準位が の1倍、3倍、5倍のように等間隔となっている。この間隔をエネルギー量子と等しいと考えると、次の式が得られる。
ここではプランク定数である。
これを用いて、求められたエネルギーを量子数のように対応させてまとめると、次のエネルギー準位を得ることができる。
ここで、は振動量子数となる。また、はこの振動の固有振動数となる。
調和振動子のエネルギー準位を表すと下の左の図のようになる。また、その波動関数のイメージを書くと下の右の図にようになる。
このように調和振動子に許されるエネルギー準位は等間隔となる。この間隔は振動のエネルギー量子である。固有振動数はバネの力の定数がで質量がの古典力学的な振動子と同じであるため、次の式で求めることができる。
また、エネルギーが最低のの基底状態の場合でも、そのエネルギーはではなく、というエネルギーをもって振動している。このエネルギーを振動の零点エネルギーという。その振動を零点振動という。
調和振動子の波動関数はに対して、次のようになる。
この式では、規格化で決定できる係数は省略した形としている。
指数部分に含まれている定数は量子数によらずに、次の式のようになる。
調和振動子の波動関数は中心の周りで振動し、遠くになると減衰する。
値が0になる節の数は量子数と同じ数であり、エネルギーが高いほど多くなる。
調和振動子と分子振動
この調和振動子に関するこの結果は、二原子分子に当てはめると次のようになる。
二原子分子の二原子間の距離の平衡点からのずれをとする。このとき、位置エネルギーを の形で表されるとする。この場合、二原子分子に調和振動子をそのまま当てはめることができる。
ここで、一方の原子の質量を、他方の原子の質量をとした場合、その換算質量は、二つの原子の質量の逆数の和の逆数として、以下の式で求めることができる。
このを固有振動数の質量に代入することで、二原子分子の振動数を表す以下の式が得られる。
この場合の定数は、二原子を結び付ける化学結合の力の定数となる。結合力が大きいほど、の値が大きくなるため、分子振動の振動数も大きくなる。ルートの中の分母の換算質量は二つの原子の質量で決まり、質量が大きくなるほど大きくなる。そのため、結合の力の定数が同じ場合、質量の大きい分子ほど分子振動の振動数は小さくなる。
調和振動子のエネルギー準位を二原子分子の分子振動のエネルギー準位にあてはめた場合、準位間は等間隔で、その間隔は、振動数として決定されるに等しい。
振動の量子数がの準位のエネルギーと、振動の量子数がの準位のエネルギーの差であると同じエネルギーの光子が分子によって吸収、もしくは放出されることで観測されるスペクトルを振動スペクトルという。
振動スペクトルのエネルギーについて式にすると次のようになる。
振動準位間の遷移は、隣り合う準位間で起こる。また、分子の振動スペクトルは赤外線の領域に現れることが多い。これは波数(cm-1)でいうと、数百から数千cm-1の領域となる。振動準位間の遷移は、振動運動によって、分子の電気的な極性が大きく変化する場合ほど、起こりやすく、例えばH2やN2のような電気的な極性が変化しない振動は振動遷移を起こすことはない。
原子数が3個以上の多原子分子の分子振動の場合は、2個以上の結合(バネ)で原子同士が結び付いているため、位置エネルギーの形が複雑となる。
分子構造と分子振動
原子が何個の分子であっても、位置エネルギーの極小点は結合のバネのつり合いの位置となる。つまり、高温などの特殊な環境でない限り、原子間の距離がこの位置にあることが自然な状態と考えることができる。これが、分子の幾何学的な形、つまり分子構造である。
また、分子振動の種類を考える際には、分子構造も重要となる。
原子が一列に並んだ分子を直線分子、そうでない分子を非直線分子という。
また、非直線分子のうち、原子がすべて1つの平面上に並んだ分子を平面分子、原子が1つの平面上に並んでいない分子を非平面分子という。
二原子分子はすべて直線分子である。三原子分子の場合は、二酸化炭素(CO2)のように原子が1列に並んだ直線分子と、水分子(H2O)のように折れ曲がった形の非直線分子がある。
四原子以上の分子になった場合、さらに複雑となる。ホルムアルデヒド(HCHO)などは平面分子であるが、メタン(CH4)は正四面体の頂点にHがあり中心にCがある立体的な分子構造の非平面分子もある。
分子の位置エネルギーの極小点付近では、の形は下に凸の放物線の形になっている。そのため、分子は位置エネルギーの極小点の構造を平衡点として、その近傍では調和振動子と似た振る舞いを行っている。
二原子分子と多原子分子の場合には、振動運動に関係する座標の変数の数が異なる。この座標の変数の数は振動の自由度といい、で表される。
多原子分子では種類の分子振動が現れ、固有振動数も種類となる。ただし、縮重がある場合は、固有振動数の数値の種類はよりも少なくなる。
多原子分子の振動運動を基準振動、または振動モードという。その運動様式を表す座標は基準座標という。
分子の振動運動にも、その振動の方向などによって、種類がある。
結合が伸び縮みする分子運動は伸縮運動という。
隣り合う結合の角度が変化する変角運動という。
平面分子の場合、平面内での振動を面内振動、平面に垂直な方向の振動を面外振動という。
振動の自由度の計算
振動の自由度は計算によって求めることができる。
原子数をとする。まず、それぞれの原子は三次元の方向に移動する3つの並進運動を行うことができるため、個の運動の自由度がある。ただし、分子全体がの方向に移動する3つの並進運動は、分子の内部構造の変化とは関係していないため、振動の自由度には含まない。また、分子の重心を通る軸の周りの回転運動である分子回転も、分子の内部構造の変化とは無関係であるため、振動の自由度には含まない。
分子回転の自由度は非直線分子では、重心を通る回転軸が3種類あるため、3となる。
直線分子の場合は、すべての原子を貫く直線を軸として回転させる場合でも、原子が移動せず分子回転にならない。そのため、回転軸が1つ減り、二つとなる。そのため、分子回転の自由度は2となる。
よって、振動の自由度はから並進と回転の自由度を引いて求めることができ、次のようになる。
非直線分子:
直線分子 :