結晶場とは
結晶中の原子やイオンの電子にはたらく力の場(特に電場)のことを結晶場という。結晶中の原子やイオンは近くの粒子からクーロン力による静電気引力を受ける。そのため結晶の対称性などが原子のエネルギー準位などに反映される。
この結晶場理論では隣接軌道を負の点電荷として取り扱う。この近似を改善したものが配位子場理論である。配位子場理論は分子軌道理論の拡張であり、中心のイオンのd軌道の役割や中心イオンと周辺イオン(配位子)の軌道の重なりが考慮されている。
結晶場の効果の大きさと性質は局所環境の対称性に強く依存する。
そこで、結晶の局所環境が原子のエネルギー準位におよぼす影響を考える際に、まず原子中の電子軌道の形を理解しておく必要がある。
原子中の電子軌道
原子中の電子軌道について形状と角度依存性に着目して考える。
s軌道
s軌道は球対称であり、角度依存性はない。
p軌道
一方でp軌道は球が2つ組み合わさったような形状となり、
d軌道
d軌道も形状に角度依存性がある。またdz2軌道とdx2-y2軌道をあわせてeg軌道とよぶ。dxy、dyz、dzx軌道をあわせてt2g軌道とよぶ。このようにd軌道は2つのグループに分かれる。t2g軌道はx、y、z軸間に伸びており、eg軌道はx、y、z軸方向に伸びている。(dz2軌道はz軸方向に伸びており、dx2-y2軌道はx、y軸方向に伸びている)
八面体配位と四面体配位
結晶場を考えるにあたって八面体配位を考えることが多い。これは多くの遷移金属化合物で酸素などのイオンが八面体の頂点に配位し、その中心に遷移金属イオンが位置するからである。この場合、結晶場の起源は酸素の軌道を占有する電子による静電反発力となる。
以下に八面体配位および四面体配位の図を示す。
球の中心に陽イオンがある場合
まず、半径rの球の中心に10個のd電子をもつ陽イオンがあると考える。球は負に一様に帯電しているとする。この球対称環境下ではd軌道すべてが縮退しているが、電荷が存在することによって系全体のエネルギーは増大する。
八面体配位の場合
次に、八面体配位について考える。そこで6個の点電荷の中心に陽イオンがあると考える。このときに点電荷は八面体の頂点に存在するとする。この場合ではd軌道の縮退は解ける。この縮退が解ける理由は各軌道の角度依存性が関係している。
そこでdxy軌道とdx2-y2軌道を比較してみる。ここではxy平面について考える。中心にはd軌道があり、四方に酸素などの陰イオンに由来するp軌道が存在することになる。
下の図の左側のdxy軌道の場合、dxy軌道とp軌道の重なりがない(図では極端に重なりが無いように書いているが、実際にはわずかにあるとも考えられる)。この場合、静電エネルギーは小さくなる。
一方で右側のdx2-y2軌道の場合、dx2-y2軌道とp軌道の重なりが大きいため、軌道のエネルギーが高くなる。
このように考えていくと、eg軌道はx、y、z軸方向に伸びている(dz2軌道はz軸方向に伸びており、dx2-y2軌道はx、y軸方向に伸びている)ため、隣接するp軌道との重なりが大きくなり、エネルギーが高くなる。
一方で、t2g軌道のdxy、dyz、dzx軌道はx、y、z軸間に伸びており、重なりが小さいため、エネルギーが低くなる。
このような影響によって、d軌道は低エネルギー側のt2g軌道と高エネルギー側のeg軌道に分裂する。これを図にすると下のようになる。
四面体配位の場合
八面体以外の配位の場合でも同様に考えることができる。四面体配位の場合には、軸方向に伸びた軌道は四面体の頂点に位置する原子の電荷を避けようとするため、二重のeg軌道が低エネルギーになり、三重のt2g軌道と高エネルギー側になる。
この結果、d軌道の高エネルギー側と低エネルギー側の分裂は八面体配位の場合とは逆転する。
d軌道への電子配置
原則として、電子軌道に空きがある場合、電子は低エネルギー準位を占有してから、高エネルギー準位を占有する。
そのため、遷移金属イオンの3d軌道に空きがある場合、3d電子は低エネルギー順位を占有してから高エネルギー順位を占有する。例えば、八面体配位の場合、t2g軌道を占有してからeg軌道を占有すると考えることができる。
しかしながら、実際には軌道が詰まる順番は、結晶場エネルギーと同一軌道に2電子を詰める際のクーロンエネルギーとの競合で決定される。この同一軌道に2電子を詰める際のクーロンエネルギーを対形成エネルギーという。
ここでは3d6のイオン、つまり電子が3d軌道に6個入る場合を八面体配位の結晶場を想定して考えてみる。
結晶場エネルギーが対形成エネルギーよりも小さい場合、系の電子数が増えると、各軌道に1つずつ電子が入ったあと、6個目の電子がエネルギー準位の低いt2g軌道に2つ目として入る。こういった場合を結晶場が弱い場合、もしくは弱い結晶場ということもある。また、こういった電子配置を高スピン配位という。
不対電子が4つあるためスピン角運動量Sは2となる。
結晶場エネルギーが対形成エネルギーよりも大きい場合、系の電子数が増えると、電子2つずつが、低エネルギー側のt2g軌道に入る。そのためeg軌道は空のままである。もし7個目の電子が入る場合には、障壁を超えて高エネルギー側のeg軌道に電子が入る。こういった場合を結晶場が強い場合、もしくは強い結晶場ということもある。また、こういった電子配置を低スピン配位という。
不対電子がないため、スピン角運動量Sは0となる。
このように八面体結晶を考える場合、各軌道への電子の入り方は電子の数が1、2、3、8、9、10の場合は同じ電子配置となるが、電子の数が4、5、6、7の場合には電子配置について結晶場の影響を受けることになる。
また、例えばFe2+を含むような物質では温度や圧力、光照射によって低スピンと高スピン間のスピン転移が起きることもある。