まず、最初にX線と物質との相互作用について整理します。
X線を物質に照射したときのことを考えます。まずX線が正と負の電荷をもつ原子核と電子から構成されている原子に照射されると、X線は電磁波であるため、X線の電場によって電子の強制振動が起こります。この振動によって、X線がそのまま周囲に伝搬していく現象はX線弾性散乱もしくはトムソン散乱といわれます。
一方で、物質が結晶のように規則正しい原子配列をもっていると、各原子からの散乱X線が干渉し、その結果、回折現象が起こります。こうなると、特定の方向にX線が集中することになります。これを用いて、結晶の構造などを調べる測定方法がX線回折測定です。
次に、物質に入射したX線の一部は原子中の電子の励起エネルギーに使われて、エネルギーの損失したX線が観測されることになります。この現象はX線非弾性散乱と呼ばれます。非弾性散乱のうち、束縛エネルギーの小さい電子による非弾性散乱はコンプトン散乱と呼ばれます。コンプトン散乱の角度分布から物質中での伝導電子の運動量分を求めることができます。そして、内殻電子を励起させてエネルギーを損失する現象はX線ラマン散乱といわれ、これがいわゆる吸収分光にあたります。
X線は波長の長い可視光や紫外光と比べると物質との相互作用が小さいです。そのため、X線は透過力が大きく、物質を透過したX線を観測することができます。そして、その物質を透過したX線の強度の損失は、X線がどの程度物質中の原子の電子励起に使用されたか、もしくは散乱されたかの尺度として用いることができます。
X線の散乱の程度はエネルギーによって大きく変わらないと考えられるため、X線吸収スペクトルは内殻電子が空いた軌道やバンドへ遷移する確率に対応します。この遷移確率は次に示す電気双極子遷移の確率を表すフェルミの黄金律によって考えることができます。
遷移確率をとすると
ここで、とは終状態とし状態の波動関数であり、はX線の偏光ベクトル、は位置ベクトルを表します。
可視光や紫外光の吸収と異なる点として、始状態が原子の核近傍に局在した内殻単位であり、その結果、近似的に原子の遷移選択測 (双極子近似) (は軌道角運動量)が成り立ちます。そのためs軌道からはp軌道のみ、p軌道からはd軌道かs軌道への遷移のみが可能になります。また電場ベクトルと遷移モーメントの方向がそろったときに遷移強度は最大となります。
X線吸収分光 (X-ray absorption spectroscopy, XAS)は、ここまでで考えた内殻電子励起の分光です。X線吸収スペクトルはX線エネルギーが内殻準位に一致したところで急激な立ち上がりが見られ、その後緩やかに減衰していきます。
このスペクトルを拡大すると、吸収端付近に大きく波打つ構造があり、エネルギーの高い領域にも小さいながら緩やかな波打ちが観測されます。
吸収端付近の大きく波打つ部分をX線吸収端近傍構造 (X-ray absorption near edge structure (XANES))という。有機分子のXANESはNEXAFS (near-edge X-ray absorption fine structur)と書かれている場合もあります。
XANES以降の緩やかに波打つ部分を広域X線吸収微細構造 (Extended X-ray absorption fine structure (EXAFS) )、そしてXANESとEXAFSを合わせて、X線吸収微細構造 (X-ray absorption near edge structure (XAFS))といいます。
そのため、このXAFSは単色化したX線源を光源として、そのエネルギーを掃引した際の測定対象物質のX線吸光度変化を測定する手法です。
XANESスペクトルは内殻準位から空いた軌道(バンド)、連続状態への遷移に対応するため、空の状態の状態密度を反映することになります。しかし、絶縁体や半導体では、空孔でできた内殻に外側の軌道が引き込まれ、スペクトルが状態密度から大きく変わることがあります。
EXAFSの波打ち構造はX線によって飛び出す電子と周囲の原子によって散乱された電子との干渉効果によって起こる現象です。つまり分光に回折現象が入り込んだものと考えることができます。
最初に紹介する論文は酸化チタンのアナターゼ型とルチル型におけるK端( K-edge)吸収端についての理論的な考察です。
まず簡単にTiの結晶構造のイラストを示したものが下の図です。
実際の酸化チタンのK-edgeのXANESスペクトルを示します。
Ti K-edgeのスペクトルのA3とBのピークは1s軌道からt2gとeg軌道への遷移への遷移と帰属されています。ただし、このt2gとeg軌道はTiのd軌道のみの軌道ではなく、伝導帯領域の異なる箇所のTiの3d軌道と4p軌道の混成によって形成されていると考えられています。
一方でA1やC2、C3のピークについては充分にわかっていないこと部分がかるようです。バンド構造と多重散乱の計算からは、四極子遷移のプレエッジの強度への寄与は二極子遷移への寄与と比べると、ごくわずかであると見積もられています。
他のグループの計算結果からは、A1は中心原子上のt2g対称の3d状態への四極子遷移であると提案されています。
ルチル型酸化チタンのTi K-edgeの角度分解XANESの結果からは、特にA1のピークはB2gを含むd軌道の対称が含まれていると考察されています。
この論文では、これらの軌道の遷移の種類を明らかにするためにルチル型とアナターゼ型のTi K-edgeのXANESスペクトルの第一原理完全多重散乱計算の結果が報告されています。
アナターゼ型は単位セルあたりに12原子を含む正方晶系で、格子定数はa0=3.784 Å,
C0 = 9.514 Åです。チタン原子には酸素は6原子結合しとり、結合距離は1.934 Åに4つ、1.980 Åに2つとなっています。
この論文の計算結果からは、A1、A2、A3ピークは3d-4pの混成状態への遷移に対応するピークであり、ルチル型のピークBと起源が同じ構造B、a1型軌道hの遷移に対応するC2、C3、アナターゼ型のb3およびe対称性の4p準位に対応するD、高次p軌道に対応するピークによってTi K-edgeのピークは帰属されます。
次に計算よって求められるアナターゼ型酸化チタンのTi K-edgeのスペクトルを示します。
ピークA1-A3は3d-4p軌道の混成から構成されており、ピークbは主にp軌道の成分であるという結果です。ルチル型と異なる点として、Aタイプのプリエッジのピークは3つあります。
この3つのピークの由来を求めるための計算結果が次の図です。
左の計算は91原子のクラスターを用いた計算結果です。挿入図は下がp軌道のDOS、上側がd軌道のDOSの計算結果です。右側は、(a)は3.039 Åにある4つのTi1のみを考慮し、3.784 Åの原子の影響を除いた場合の計算結果です。(b)は(a)の3.039 Åにある4つのTi1の影響も除いたものです。(c)は左と同じスペクトルです。どの場合に、どのピークの成分が消えているかを確かめることで、ピークの由来について考察することができます。
この結果より、3.039 Åの4つのTiはA1とA2のピークに寄与し、3.784 Åにある4つのTiはA1とA3に寄与していることがわかります。これらの合計は曲線cの91原子クラスターの計算とほぼ等しくなっています。
ルチルの場合と異なり、A2とA3の2つのピークが存在しますが、これは結晶場効果だけではなく、中心のTiからの距離が異なる2種類のTi殻が存在しているため、中心のTiの4p軌道の混成との度合いが異なることが反映された結果です。また、この距離の依存性の影響は、アナターゼのプリエッジの強度よりも、ルチルのプリエッジの強度が高い理由の説明にもなります。
実際、中心原子の波動関数のpはTi-Ti距離が大きくなるほど、減少する特性を持っているため、アナターゼ型はルチル型より大きくなっています。またこの場合には、中心のTi原子の3dへの遷移は双極子的に許容されています。しかし、計算から遷移はプリエッジの強度にはあまり寄与していないと考えられています。
同様に他の論文でのアナターゼ型酸化チタンのTi K-edgeのピークの帰属を見てみます。
この論文では、プレエッジについてA1、A2、A3、Bの4つのピークに分解されています。
酸化チタンのd軌道は八面体の酸素に囲まれているため、結晶場分裂によって、t2g状態とeg状態に分裂が起こっています。
ここでは、A1は中心電子から3d4p4s の混成軌道のt2gバンド状状態への遷移であり、A2とA3は中心電子から3d4p4s の混成軌道のegバンド状状態への遷移であると帰属されています。Bは主なTi 4pにTi 4sとO 2p状態が混成した軌道への遷移に帰属されています。そして、C1とC2はTi 4pと混成したO 2p状態への遷移に帰属され、Dはより高エネルギー準位のpの原子軌道への遷移に帰属されています。
他に、これまでの研究で、アナターゼ型の酸化チタンの粒子径が小さくなると、プレエッジのピークのA2、A3の寄与が大きくなることが報告されています。これは、酸化チタンナノ粒子表面のTi原子の割合が大きくなり、TiとOが6つからなる八面体ユニットの歪みが大きくなるためと考えられています。
結晶性の高いアナターゼ型の酸化チタンとは対照的に、結晶性の低い酸化チタンでは歪みや格子の欠陥が多くなると考えられます。つまり、酸化チタン格子に歪みが存在すると、酸化チタンのチタンが6配位から5配位へと変化している箇所が増えるため、強度があがると考えられます。
酸化チタンは常圧下では、アナターゼ型、ルチル型、ブルカイト型の3つの結晶構造が存在することが知られています。特にアナターゼ型とルチル型のXANESスペクトルのプレエッジはTiの局所構造や配位数の影響が現れると考えられています。
次に紹介する論文はTi K-edgeのプレエッジのスペクトルとTiの配位数について述べている論文です。
Ti K-edgeの吸収端の高さは、Tiの配位数と関係があると考えられています。この論文では酸化チタン(TiO2)以外に、チタノシリケートなど配位数が異なるチタン塩を用いて研究が行われています。具体的に用いられた化合物とその化合物のTiの配位数は補助資料に掲載した表を見てください。
まず図にTiの配位数が4配位、5配位、6配位のチタン化合物のK-edgeのスペクトルが示されています。
Tiのプレエッジは1863 eV付近にピークがあることが確認できます。またこの領域のピークは一般的にはTiの1s軌道からTiの3d軌道、もしくはOの2p軌道への遷移に起因すると考えられています。スペクトルを見ると、遷移は不連続であり、内殻の空孔(core-hole)の寿命と機器の分解能によって、ピークが幅広くなっています。
この論文では、連続的なエネルギーバンドに広がる分子レベルでのバンド構造のアプローチに似た散乱理論的な解釈で、スペクトルについて議論しています。
Ti K-edgeのプレエッジのスペクトルの特徴として、4配位のTiのプレエッジのピークがTi化合物の中で最大となり、また、6配位のTiのプレエッジのピークと比較して、2 eV低エネルギー側へシフトしていることが明らかになっています。また5配位のTiのプレエッジのピークは4配位と6配位のTiのピークに中間に位置しています。この関係をプロットしたものが上の図になります。
このプレエッジの位置のシフトは、Tiの配位数が増加することによるフェルミエネルギーのシフトと関連している可能性が示唆されています。つまり、Tiのプレエッジのプレエッジから試料のTiの配位数を見積もることが可能です。しかし、注意点について次に紹介します。
Ti化合物の配位数が数種類混在しているような試料ではTiのプレエッジの位置やピークの高さだけでは、配位数を見積もってはいけません。ここでは、その例として、4配位のTi ([4]Ti)と6配位のTi ([6]Ti)が50:50で混合している例を考えます。
そのスペクトルを図に示しますが、[4]Ti+[6]Tiが50:50で混合された物質のスペクトルのピークは4969.9 eVにピークが位置しています。これは、[4]Tiのエネルギー位置に近い値です。逆に規格化された強度は0.56と5配位のTi ([5]Ti) に近い値となっています。つまりピーク位置とピーク強度のどちらかだけでTiの配位数を判断することは判断を誤る可能性が示唆されています。
このTiの4配位と5配位と6配位の混合物についてまとめたものが下に示されています。
この結果から、Tiの配位数について、プレエッジの位置だけを考慮するとTiの配位数を過小評価してしまう可能性があり、プレエッジの強度だけを考慮すると、Tiの配位数を過大評価してしまう可能性があることがわかります。そのため、Ti酸化物の配位数の決定は強度とピーク位置の2つを用いる必要があります。これによって"5配位"と"4配位と6配位の混合物"の区別が可能になります。
参考文献
(1) XAFSの基礎と応用 日本XAFS研究会・編
(2) Wu, Z. Y., Ouvrard, G., Gressier, P., & Natoli, C. R. (1997). Ti and OK edges for titanium oxides by multiple scattering calculations: Comparison to XAS and EELS spectra. Physical Review B, 55(16), 10382.
(3) Angelome, P. C., Andrini, L., Calvo, M. E., Requejo, F. G., Bilmes, S. A., & Soler-Illia, G. J. (2007). Mesoporous anatase TiO2 films: use of Ti K XANES for the quantification of the nanocrystalline character and substrate effects in the photocatalysis behavior. The Journal of Physical Chemistry C, 111(29), 10886-10893.
(4) Farges, F., Brown, G. E., & Rehr, J. J. (1997). Ti K-edge XANES studies of Ti coordination and disorder in oxide compounds: Comparison between theory and experiment. Physical Review B, 56(4), 1809.