化学徒の備忘録(かがろく)|化学系ブログ

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遷移金属錯体の色とd-d遷移・電荷移動遷移・配位子の吸収について

遷移金属錯体の色について

遷移金属化合物は多彩な色を示すことで知られている。そのため、遷移金属の塩や酸化物はガラスや陶器の着色剤や絵画の顔料として使われてきた。遷移金属錯体も同様に多彩な色を示す。
これらの性質は金属錯体の中心元素が遷移元素であり、d軌道やf軌道が電子によって完全に満たされていないことによるものである。
錯体の発色の原因はおおまかにd-d遷移(LF遷移)電荷移動遷移(CT遷移)配位子の特性吸収の3種類に分類することができる。

d-d遷移(LF遷移)について

遷移金属イオンに配位子場(結晶場)がかかると、配位子の数や配置に依存してd軌道が分裂する。d-d遷移はこの分裂したd軌道間の電子遷移である。配位子場によって分裂した軌道間の遷移であるため配位子場遷移 (ligand field transition)、LF遷移ともいわれる。

d-d遷移の遷移エネルギーは配位子場分裂Δに依存しており、100~400 kj mol-1の範囲内にある。 これは1200~300 nmの波長範囲に相当し、可視光の波長領域である380~800 nmをカバーしている。
よって、固有の配位子場分裂Δをもつ遷移金属錯体が配位子場分裂Δに対応する波長の光を吸収し、それ以外の波長の光を反射するため遷移金属錯体は色を示す。

d-d遷移による吸収は弱く、モル吸光係数εは1~102 (mol dm-3)-1 cm-1の範囲にある。これはラポルテの選択則によって同種の原子軌道間の遷移は禁制となるためである。

ラポルテの選択則は多電子原子の遷移に関する選択則であり、ラポルテの選択則によれば許容遷移は反転の操作に関して異なった対称性をもつ軌道間の遷移を含まなければならない。実際には、完全な正八面体型の錯体であっても、分子振動によって対称性が低下するためd-d遷移はわずかに許容となる。そのためモル吸光係数は小さい。

[MnII(H2O)6]2+ や [FeIII(H2O)6]3+ のようなd5の高スピン錯体のd-d吸収はさらに弱い。モル吸光係数εは10-3~1 (mol dm-3)-1 cm-1程度の値であり、非常に小さくなる。

これは電子スピンが変化しない遷移のみが許容であるとするスピン選択則をd5の高スピン錯体におけるd-d遷移は満たすことができず、電子スピンの反転を伴うスピン禁制遷移が起こることに由来する。

電荷移動遷移(CT遷移) 

錯体の中心金属がd0であり、d-d遷移を起こさない錯体でも色をもつものがある。

CrO42-は中心金属はCr(VI)であり、d0であるがCrO42-は橙黄色を示す。また、MnO4-は中心金属はMn(VII)であり、d0であるがMnO4-は濃紫色を示す。この原因は結晶場理論では説明できない。
これは酸素配位子の非共有電子対から四面体型錯体の金属の空のe軌道への電子移動遷移によるものである。
この場合の配位子と金属のように、分子の異なる部分に局在した軌道間の電子遷移を電荷移動遷移(charge transfer transition)、CT遷移という。

電荷移動遷移はラポルテ選択則からは許容遷移なので、モル吸光係数は大きい。
電荷移動遷移のうち、特に電子が配位子上に局在した軌道から金属上に局在した軌道へ移るものをLMCT遷移 (ligand-to-metal charge transfer transition)という。
LMCT遷移とは反対に、電子が金属に局在した軌道から配位子に局在した軌道へ移るものをMLCT遷移 (metal-to-ligand transfer transition)という。

また、混合原子価多核錯体の異なる原子価の金属間で起こる電子遷移を原子価間遷移(intervalance transition)、IV遷移という。

LMCT遷移は多くの場合、紫外部に吸収極大をもつ。しかし金属の酸化数が増加して金属上に局在した軌道が低下し電子を受け入れやすくなった場合や、配位子が高周期の元素になり、非共有電子対の軌道が上昇し電子を放出しやすくなった場合は、遷移エネルギーが低下する。このため、吸収帯のすそや吸収極大が可視光領域部の青色側をより強く吸収するようになる。d0の酸化物の色が金属の酸化数の増加に伴ってTi(IV):無色→V(V):黄色→Cr(VI):橙黄色→Mn(VII):濃紫色と変化するのはこれが原因である。

また、d10のハロゲン化銀が、ハロゲンが高周期になるに伴ってAgF:無色→AgCl:無色→AgBr:淡黄色→AgI:黄色と変化するのも、これが原因である。

MLCT遷移の遷移を示す錯体として、濃赤色を示す [Fe(phen)3]2+ や赤橙色を示す [Ru(bpy)3]2+ がある。これらの錯体の特徴は低酸化数の金属とヘテロ芳香族化合物の錯体ということである。こういった錯体は金属のt2g(dπ)軌道からヘテロ芳香族配位子の共役系のπ*軌道へ電子遷移が起こる。この遷移も許容遷移であるためモル吸光係数は大きい。

 原子価間遷移によって着色している錯体として、濃青色のプルシアンブルー FeIII4[FeII(CN)6]3・14H2O や赤色のウォルフラム塩 [PtIVCl2(NH2C2H5)4][PtII(NH2C2H5)4]がある。これらの錯体の光吸収はFeIIサイトからFeIIIサイトへの電子遷移やPtIIサイトからPtIVサイトへの電子遷移によって起こる。また、原子価間遷移による吸収帯は可視光領域部から近赤外光領域外部に幅広い吸収帯として現れる。

配位子の特性吸収について

配位子が錯体を形成しない遊離の配位子の状態でも光の吸収を示す場合、金属錯体を形成した際にも同様の吸収を示すことが多い。しかし吸収帯の位置や強度は、金属イオンの影響を受けることで変化する。

そのため可視光領域に吸収をもつ場合は、色の変化が観測される。この現象を利用することで錯体の形成を確認することができる。またpH指示薬や金属指示薬に応用されているものもある。