分光化学系列について
錯体の吸収スペクトルでは、可視部領域付近の弱い吸収帯の吸収極大波長が、配位子によって規則的に変化することが発見された。この遷移はd-d遷移であり、その遷移のエネルギーは配位子場分裂に対応している。そのため、強い配位子場を形成する配位子ほど大きなを与え、短波長側に吸収極大を与える。このの値は次の配位子の順列に従って、減少していく。
CH3-~CO>CN->NO2->phen>bpy>en>NH3>NCS->H2O>ONO->OH->F->Cl->Br->I-
ここでphenは1,10-フェナントロリン、bpyは2,2'-ビピリジン、enはエチレンジアミンを示す。
この系列のことを分光化学系列(spectrochemical series)という。これは、日本人の槌田竜太郎によって提唱された。
分光化学系列は配位原子に注目して、次のように簡略化することもできる。
C>N>O>ハロゲン
例外もあるが、多くの錯体で分光化学系列は成り立つ。
分光化学系列と供与について
分光化学系列の順にの値が減少していく理由の一つは次のようなものである。分光化学系列の順に電気陰性度が増加し、金属に供与する軌道のエネルギー準位が低下するため、この軌道と金属の対称性のeg*軌道とのエネルギー差がこの順に大きくなり、その結果軌道相互作用が小さくなってが小さくなる。例えば、アルキル配位子が大きな配位子場をつくる理由はこれである。
もう一つの要因は配位子と金属の型の軌道相互作用である。この相互作用は、配位子が金属に対して型の対称性をとりうる軌道をもつ場合にのみ考えられる。よって、アンモニア、飽和アミン、アルキル陰イオンなどでは、この相互作用が起こらず、これらの配位子は結合のみを考えればよい。型の相互作用をする配位子には、供与型と逆供与型の二つがある。
分光化学系列と供与型配位子について
供与型の配位子が小さな配位子場、つまり小さな配位子場分裂を形成する理由は次のとおりである。
H2OやOH-、ハロゲン化物イオンのような2個以上の非共有電子対をもつ配位子では、一つの非共有電子対が金属に供与する以外に、比較的低エネルギーの残りの非共有電子対が型で金属のt2g(d)軌道に電子供与を行う。このt2g軌道は電子配置がd0の場合以外では部分的に占有されている。そのため、型の非共有電子対との相互作用によって生じる反結合性のt2g'*軌道も被占軌道となる。よって、t2g'*軌道とeg*軌道とのエネルギー差にあたる配位子場分裂は小さくなり、d-d吸収帯は長波長側へシフトする。
また、OH-はH2Oよりも多くの非共有電子対をもっており、負電荷ももっている。そのため、OH-はH2Oよりも良い供与体であるといえる。そのため、OH-の配位子場分裂はH2Oよりも小さくなる。
分光化学系列と逆供与型配位子について
逆供与を受けることができる配位子のことを、受容性配位子や酸性配位子ともいう。逆供与型の配位子が大きな配位子場、つまり大きな配位子場分裂を形成する理由は次のとおりである。
COやCN-、エチレン、ホスフィンなどの配位子は、金属に対して対称性をもつ高エネルギーの空軌道をもっている。これらの配位子は、金属の電子が充填されたt2g軌道から逆供与を受ける。その結果、結合性軌道t2g'軌道と反結合性軌道t2g'*軌道を形成する。反結合性軌道t2g'*軌道は空軌道となるため、結合性軌道t2g'軌道とeg*軌道とのエネルギー差にあたる配位子場分裂は大きくなり、d-d吸収帯は短波長側へシフトする。